・・・大町市社
むかし、大町の宮本に、藤九郎という百姓が住んでいました。
ある秋の日、藤九郎は、田んぼへかかしを立てにいきました。
近くを流れる高瀬川の両岸にひらけた田んぼには、黄色にみのった稲の上を、とんぼが気持ちよく、すい、
すい、とんでいました。
ふと見ると、となりの田んぼの吉兵衛も来ていました。「やあ吉さん、ゆうべは、えれえ目にあったってな」
「ああ、丹生子(にゅうのみ)のキツネさま、せいいっぱいばかしてくれたもんで、おらは、ふんと
こまっちまったわい」と、 吉兵衛は、にがわらいしながら、こたえました。「どんなふうに、ばかされたべ」
「ほれ、あの丹生子のとこを、おそくなってとおっただわ、林のところを、半分ぐらい来た時かね、
美しいむすめか出てきらのほうを見て、 手まねきをするだわい。それでおら、そのほうへすんずんいったわけせ。
そしたら、あっちでも、こっちでも「ざいこ、ざいこ」と、木を切る音がするじゃねえかい。
そのうちに、「どさん、どさん」と、木がたおれてくるだいね。木がたおれてく、よけなけりゃいけねぇずらい。
わせ、どんどんにげていくうちに、 とうとう高瀬川へおっちまったわけせ」「そりゃ。えらい目にあったもんだ。
おれも、こんや、大町まで行くだが、おれはだいじょうぶだぞ」
「用じかあったら、たしてきてやるが ・・・・・」「いやー、いまのところねえが、ばかされねえように気をつけて、
いきましょい」
「だいじょうぶさ、おら、むりにばかされてやるわ。はっ、はっ、はっ、・・・・・・」
おおいばりで、家にかえってきた藤九郎は、馬を引いて大町まで、でかけて行きました。
あちこちと用じをたして、買ったものを馬へくくりつけ、「さて、これで用じもすんだ。どれ、ちょっと寒いに、
いっぺえやるか 夜もだいぶふけてからでした。
丹生子の森へ来たのは、ま夜中でした。はな歌をうたいながら来ましたが、道の草むらから、鳥が「ばた、ばた」と、
飛び立ったり、遠くの木から、「きん、きん」と、きつつきが、木をたたいている音が聞こえてきたりすると、
少し気みがわるくなりました。
「おれは、だまされんぞ。だまされてたまるか」と、思いながらあるいていると、少しさきのところをさびしそうに、
ぽつぽつと歩いていくものがいました。
いそいで近づいてみると、若い女の人でした。追いぬこうとすると、「足がいたくて、こまっているだいね。
わりいが馬にのせとくれや」と、美しい声でいいました。
(そうれ、おいでなさった。よし、ここはひとつ、だまされたと思って乗せてやれ)そう考えましたので。
「さあ、のっとくれや。えんりょすることはねえじ」と、いって馬にのせました。
そして、くらなわをほどいて、あっというまに、そのむすめを、くらごと、しばりつけてしまいました。
やがて、家につくと、大声でよめさんにいいました。
「今、けえったよ。ちゃっとあかりを持ってこい。べぴんのおきゃくさまを乗せてきたでな。
よめさんが出てきましたが、なんにも見えません。
「どこにいるだね、なんにも見えねえじゃねえかい」と、いいましたが、藤九郎は、「これ、ここにいるじゃねえか、
これが見えねえか」と、いばっています。
(これは、てっきりキツネにやられたな。)と、思ったよめさんは、近くにあった棒で、藤九郎のあたまを、
コツンとたたきました。
「あいてて、なにをするんだ、気でもちがったか」「だって、おまえさんは、キツネに化かされいるんでねえ」
「ばかされて・・・・」「 そうさい、馬のうえになんか、なんにもいねえわい」「いねえだかや」
「いねえせー なにいってるだい」
「そうか、おれもキツネに化かされたか」藤九郎は、しょんぼりしていいました。
それからは、藤九郎もいばることを、しなくなったということです。
・・・ 安曇野市南穂高
むかし、南穂高の重柳に、働き者の喜作という百姓がすんでいました。
ある年の五月、田植えを一人でやっていると、「もし、もし、おらにも田植えを、手だわせてくんねえか」と、
いう声がします。
(はて、だれずらいな)と、田植えの手をやすめてみますと、若くて美しい女の人が、田んぼのあぜに立っていました。
「いま、声をかけたのは、おまえさんかね。おまえさんのような美しい人が、こんなどろの中へ、へえって仕事をすると、
それこそ、まっ黒になってとりかえしがつかなくなるじ」と、いいますと、「そんなこと、かまわねえわい、
おらは、田んぼの仕事がだいすきで」と、いうなり、むすめは、きもののすそをあげて、田んぼへ入り、
とてもしろうととは思えないくらい、じょうずに、植えはじめました。
喜作は、きょう中には、とても終わらないと思っていたのに、みるまにすんでしまったので、
とても喜んで、「手つだってもらったおかげで、きょうの仕事は終わったわい」どうだね、なんにもねえが、
おらの家へいって、夕めしでもくっておくれや」と、 むすめを家へつれてかえりました。
喜作が、田植えのどうぐを、かたづ、さて、夕めしの用ういをしようと家にはいったとたん、びっくりしてしまいました。
今まで、ちらかっていた家の中は、きれいにかたづけられ、いろりには、赤々と火がもえています。
(むすめは、どこへ行ったずら)と、思ってさがしてみますと、井戸ばたで、喜作の汚れたきものの、
せんたくをしていました。
(なんと、手の早い、働き者のむすめだろう)喜作は、すっかり感心してしまいました。
やがて、夕はんになり、二人は、おかゆをたべながら、せけん話をしたのですが、そのうち、むすめは、
はずかしそうにいいました。
「おら、とらの、というものだか、道にまよってここまできちまったわい。親もきょうだいもいねえ一人もんだで、
もしかして、おらが気に入ったらこの家へおいてくれねえかい」
喜作は、このむすめが気に入っていましたので、「おらも、みてのとおり、ひとりものだわい。おらほうこそ、
おまえさんにいてむらったら、どんなにたすかることか・・・、 ぜひ、この家にいておくれやめ」と、いいました。
それから、二人は、なかよく働き、なん年かすぎました。
やがて、じょうぶな男の子が生まれ、親子三人はまえよりもしあわせにくらしました。
ある日のこと、喜作が田んぼの仕事をおえて家へかえってきますと、とらのは、あかんぼうにおちちをくれていました。が、
きもののすそから、 キツネのしっぽが゛出ているのを見て、喜作はたいへんおどろきました。
「おまえ、そのしっぽは、どうしただやる」「えっ、しっぽが・・・・」と、いったまま、とらのは、
まっさおになりました。
「おまえさん、きょうまでだましとていて、わりかったいね。おら、じつは、このあたりに住むキツネだわい。
一度でいい、人間のくらしがしてえと思い、おまえさんところへきたが、へえ、
おらの、ほんとうのすがたをみられちまったで、こで、くらすわけにもいかねえわね。どうか、この子を、
しっかり育てておくれや」と、いったかと思うとけむりのようにきえてしまいました。
それからというもの喜作は、この赤んぼうを、とても苦労してそだてました。が、
この子は大きくなるにしたがい、用水路ををほるなどのしごとを 、いくつもしたと、いいつたえられています。
信濃教育会出版 平林治康著より引用
・・・ 松本市梓川"
梓川村上角影に、西光寺というお堂がありました。
とてもまじめなあまさんが住んでいて、朝晩熱心にぼさつさまを拝んで、お経をあげていました。
ある晩のことでした。
尼さんは、いつものように、ろうそくに火をつけようとして、火打ち石を、「かち、かち」とうちましたが、
なかなか火がつきません。 (今夜は、どうしたわけかな)
やっとのことで、つけ木に火をうつして、ろうそくをともしました。その時、つけ木のいおうが、少しこぼれました。
ときどきあるので、その時は気にもとめないでいました。
やがて、お経をあげてしまうと、夕はんを食べて休みました。昼まのつかれで、尼さんは、ぐっすりねむりこんで
しまいました。すると、夢の中にぼさつさまがあらわれて、「これ、早く起きろ。火事だぞ、ぐずぐずしていると
、焼け死んでしまうぞ」と、いったかと思うと、 なにやら、「どさん」と尼さんのふとんの上にたおれかかって
きたものがありました 。
おどろいた尼さんが、あわてて飛びおきてみますと、あたり、いちめん火の海、ぼさつさままで、
もえ初めていました。
(これは、たいへんだ。早くぼさつさまを外へおつれしなければ・・・)尼さんは、火のついたぼさつ様を、
だきかかえると、からだごど、しょうじにぶつかり、庭にころげでました
お堂は、まもなく大きな火柱をあげてくずれおちました。
庭で、尼さんが、ぼさつ様をしっかりだきかかえているところへ、村の人たちがかけつけてきました。
「おお、尼さま、よくぶじだったね。それに、ぼさつ様までだしてもらって」
「お堂は、いつでも建てられるが、ぼさつ様をやいちまっちゃー、とりかえしがつかねえわい。ありがとうござんした」
みんな、口ぐちに、喜びあいました。
それから少したって、お堂は、村の人たちの手によって、たてられました。
ある夜、尼さんの夢の中に、ぼさつ様があらわれて、「わしをたすけ出してくれて、
ありがたいと思っている。
それに、お堂もりっぱにしてもらい、ほんとうにうれしいことだ。これからは、この上角影の家に、
火事があっても、わしの力でなんとか母屋だけは守ってやろう」と、いわれました。
尼さんは、それから、ますます熱心に、仏さまへつかえました。
ぼさつ様のいわれたとおり、それからのち、この上角影に火事がおこっても、お母屋だけは、
ふしぎと焼けなかったということです。
・・・ 安曇野市豊科
トヨシナマチ新田に、法蔵寺というお寺があります。このお寺の周りに、広く大きい松林でした。
山門をくぐって、広い道を歩いていくと、両がわに見える林は、大きな松が、かさをさしたように枝をはり、
地面には、長い草が茂っていて、 ひるまでも、うすぐらくなっていました。
このお寺の本堂の下に、一匹のキツネがすんでいました。
年をとったキツネですので、人間に化けるのが、とてもじょうずで、近くの人たちは、こわがっていました。
四月十九日は、本堂の北にある観音さまのお祭りのひです。山門から本堂の近くまで店がならび
朝からおおぜいのひとでにぎわっていました。
下鳥羽の平吉も、「観音さまのお祭りにいって、夜店でたぐりあめでも、くいてえな」と、母親にいうと、
「またお祭りか、そんねにあすんでばかりいねえで、ちっとは、しごとしろや」と、ゆるしてくれません。
しかたがないので平吉は、夜になるのを待って、ぜにを家からそっと持ち出し、友だちの新蔵をよんで、お祭りへ行きました。
二人は、夜店をのぞいたり、あめを買って食べたりしてあそびました。
そのうちに平吉は、新蔵とはぐれてしまいました。(こまったな。あいつ、どこへ行って終ったかな)と、
あっち、こっちさがしましたが、 大ぜいの人なのでわかりまません。(しょうがねえ。のこったぜにで、たぐりあめでもなめて、
けえらずよ) 平吉、がたぐりあめを買っていますと、うしろから、「おい、おい」と、いって、かたをたたく者があります。
ふりかえってみますと、 それは、はくれた新蔵でした。
「なんだ、新蔵か、どこへ行ってただや」「おら、しょうべんしたくなったで、ちょっと、林の中へ行っていただわ」と
、いいます。
そして、「もっと店があるで、そっちへ行けや」と、いうのです。
「おら、ぜに使っちまったで、行っても、つまらねえや」
平吉が、せつなそうにいうと、「おれが、おごってくれるは」新蔵は、平吉の手をひっぱって、歩き出しました。
夜店をとおりぬけ、山門をでて、どんどん歩いていくので、平吉はしんばいになって、聞きました。
「新さやい、どこへ行くだや。店でおごってくれるじゃねえだかや」「今夜は,成相でもお祭りだぞ。そっちへ行ってみろや」
「そうか、成相でもお祭りか、そりゃ、知らなんだわ」
どんどん歩いていくと、そのうちに、新田せぎへ出ました。すると、新蔵は、「平吉さやい、おれをおぶって、
わたってくんねえか。
おごってくれるで、いいじゃねえか」と、いうのです。
平吉は、しかたなく、新蔵をおぶって、せぎをわたりました。そのうち新蔵が、平吉の頭の毛をぺろぺろとなめるのです。
「新さやい、なにをするだや」
「おら、キツネだぞ。おめえは、親のいうことも聞かねえ、がったむすこだそうじゃねえか、
ひとつ、おらがいじめてくれるぞ」
平吉は、ほんもののキツネをしょっていたことに気づき、ぞっとしました。せなかが、急に寒くなり、
ひや汗が体からふきだしてきました。
そして、足ががたがたふるえてとまりません。
「おれのいうとおりにしろよ。しねえと、えれえめにあわせるぞ」
平吉はしかたなく、キツネが「あっちへ行け」「こんどはこっちだ」と、いわれるままに、川の中をむちゅうで、
歩きまわりました。
平吉は、ふらふらになり、がまんできなくなり、川の中にざぶんとキツネをほうりこみ、いちもくさんに、にげかえりました。
家へかえった平吉は、それから長いこと、病人のようにねていました。
やっと元気になった平吉は、「おっかさまの、いうこと聞いてりゃよかった」と、口ぐせのようにいい、
それからは、よくはたらいたということです。
・・・ 安曇野市堀金
安曇野の西にそびえている山々の中で、三角形を二つ横にかさねたような、形のいい山、それが常念岳です。
むかし、この山のふもとの堀金村に、ときどきやってくるひとりの坊さんがいました。
この坊さんが,ぼろほろの衣をきて、頭の毛を肩のあたりまでたらしていましたが、目だけはするどく光っていました。
どこに住んでいるのかは、だれもしりません、いつも、夕方やってきました、
ある年のくれ、坊さんは、みすぼらしい酒屋さんの店先にたち、大声でいいました。
「おたのみ申す。松屋さん、どうか、このとっくりに酒をいれておくんなさい」と、
ふところから小さなとっくりを出しました。
おかみさんが、「どのくらい入れたらいいだいね」と、ききますと、坊さんは、「二升(3.6リットル)を
入れておくんなさい」と、いうのです。
「こんな小さいもんに、二升なんて、へえらねんね」と、おかみさんがいっても「そんなことはない。
きっと入ります」と、いいはりますので、 おかみさんは、ためしに酒をますではかって、入れてみました。
おどろいたことに、ちゃんと入ってしまいました。
おかみさんは、「ふんとに、二升へえったわや ・・・・・ こりや、おもしれえとっくりだ。
お寺さまは、いいとっくりをお持ちだね」 と、坊さんにとっくりをわたしました。
「あいすまぬが、酒代のかわりに、この松を二本おいていきますで、これを神だなにかざりなさlれ、
きっと、商売はんじょうしますぞ」 坊さんは、なにやら口の中でぶつぶつとなえると、
かえって行きました。<br>
そのご、ときどきあらわれては、このとっくりに三升(5.4リットル)五升(9リットル)とたのんでは、
酒をいれてもらっていきました。
それからのち、この松屋は、ふしぎと商売がはんじょうして、店も大きくなりました。
また、この坊さんのとっくりに酒を入れてやった家では、商売がうまくいったり、作物がよくてきたりするなど、
よいことがたくさんありました。
そのご、坊さんは、村にあらわれなくなりましたが、村の人たちは、あれは、常念岳の常念坊ではなかったか、と
うわさしあっていました。
正月のかざりつけをする時には、神だなの両がわに、とっくりを立てて、松をかざります。
そうして、常念坊がやってくるのを待つようになりました。
それは、常念坊がいつか幸せをもって、またきてくれるように思えたからです。
常念坊の雪形 |
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信濃教育会出版 平林治康著より引用
仁王門に通じる参道の両側ぎっしりと夜店が並び、大勢のお参りの人たちでごったがえしていました。
花火が夜空にあがり、ドーン バンバンバンとはじけて大きな花を咲かせ、人のざわめきといっしょ、
祭りの気分を盛り上げていました。
今日は5月17日、平福寺のお祭りの晩です。
村内はもとより遠くの方からも集まってきた人たちが、流れとなって参道にあふれ、観音堂へと続いています。
ここの観音様を拝んでおくと、代かきや田植えのときに 、 かしきりで手足のけがをしないと言い伝えられているので、
このように大勢の人たちがお参りにくるのです。
今、参道を馬に乗った立派な侍が、供をつれて仁王門へと向かって行きました。
夜店をのぞいたり、ぶらぶら歩いていた人たちは、さっと両側にわかれ、 この馬をめずらしそうに見ていました。
「どこの侍だかしらねえが。仁王門から先へ行くつもりかや」「あすこは、あぶねえだがなあ、
このあいだの二の舞にならなきゃいいが」 寺の近くに住む熊吉と五助は、そっとささやいてしぶしぶ道をあけました。
やがて侍が仁王門の所にさしかかりますと、突然、馬はヒヒーンと一声いなないたと思うと、
後足で立ち上がり前足はふらふらと空をかき、 侍は馬をたてなおす間もなく地面にころがり落ちてしまいました。
まわりにいた人たちはこの様子をみて、仁王門の近くに集まってきました。馬は供の人がやっと手綱をとり
なだめたので、静かになりましたが、 侍はなかなか起きあがらないので、寺の人たちがかかえて庫裏へ運びました。
「急に馬があばれだすなんて、どうしただいね」「ふんとに、どうしたことずら、お侍さまがかわいそうだいね」
口々に言っている人もいましたが、「仁王門の中まで馬できたせいかもしれねいなあ」「そうかもしれねえ。」
そういっている人たちに近ずいた熊吉と五助は、「こないだも馬に乗っていた人がここで転げ落ちたが、
やっぱり罰があたったなあ」 「そうさ、観音様の怒りにふれただぞ」 大声でいうと、
「そうだ、きっとそれにちげえねえ」 まわりにいた人たちはみんな、「それに、ちげえねえ」と合ずちをうちました。
それから少したって、今度は、エッホー、エッホーとかけ声も勇ましく、カゴが参道へとさしかかってきました。
きっと どこかの金持ちの人にちがいありません。
「おーい、どいた、どいた」 勇ましい声が聞こえ、まわりの人たちが道をあけると、
カゴはやがて仁王門に近ずいていきました。熊吉と五助はとび出していき、 両手を広げ大声でさけびました。
「おーい、どこのおえら様がしれねえが、仁王門から中へ入らねえ方がいいぞ」
「あすこはなあ、下馬おとしというだぞ。お客をおろしたほうが身のためだぞ」
するとカゴ屋は、「なにをつまらぬことを言ってるんだ。さあ、どいた、どいた。」聞き入れようともしないで、
仁王門へとはいって行きました。 すると、どうしたことか、先棒をかついでいた人が、ばたんと転んでしまいました。
カゴはドシーンと大きな音をたてて地面になげだされ、中の人が地面に転がり出てしまいました。
またもまわりの人が大勢あつまり、丸い輪になって様子をみていました。
「申し訳ございません。つい、つまずきましてーーーーーー おけがはございませんか・・・。」
カゴ屋はお客を助けおこすと、ぞうりをだしてはかせ、「お代はいただきませんので、
ここから先は歩いておいでください。
わっしらは参道の入り口で待っておりますので」といいました。そこへ熊吉と五助が出てきて、
「どうだいカゴ屋さん、おれの言ったとおりずら」「仁王門から先はあるかねえと、 お観音様の罰があたるでなあ」
おおいばりで言うとカゴ屋は、「あんなえらい人でも、仁王門から先はカゴで入ってはいけねえだかや」
「あたり前よ。ここのお観音様はなあ、ずーと昔から有名なんだぞ、殿様だって歩いたものだ。
それをカゴで通るなんて、罰があたらね方がどうかしているぞ」 熊吉は大声で言いました 。
「今度は気をつけるでなあ。ああ、えらい目にあったぞよ」
カゴ屋は、帰って行きました。 このありさまを見ていた人たちは、仁王門あたりの不思議な出来事に
感心し、 「お観音様の罰があたっただ。あそこは下馬おとしだぞ」と言い合いました。
このうわさが広まっていき、仁大門近くのことを「下馬おとし」と言うようになったということです。
(注)"かりしき=草や木の葉を集めて来て、田んぼの中へふみこんで肥料にするもの
安曇野児童文学会 穂高の民話より引用
・・・ 松川板取
むかし 松川村板取に、甚平衛さんという大そうなお金持ちがすんでいました。
甚平衛さんは、だんだんと年をとってきましたので(生きて、ごくらくへ、行きたい)と、
とんでもないことを考えるようになりました。
そこで、村の人にいきあうと、「おら、くいてえものはくったし、行きてえとこへもも、行って来た。
この上は、ぜひとも、ごくらくへ行きてえが、せわしてくれねえかい」と、
いって、たのんでいました。 村の人は、この話を聞いて、「お金持ちというもんは、えれえことを、
うわさしあいました。 ある日のこと、真っ白な着物を着た、おっかない顔の行者が、甚平衛さんのところへ来て、
「村の衆から聞いたが、生きてごくらくへ、行きたいとのこと、その、あんないをしてやろう。
わしのいうとおりにすれば、きっと行けるがどうだ」と、いいました。
甚平衛さんは、「それはありがたたい。お金はいくらでも出すで、ぜひおたのみ申します」と、
うれしそうな顔をしていました。
「では、三日ののちに、もう一度くるから、でかけられるようにしておきなさい」と、いいおいて、
行者はかえって行きました。
三日になりました。
行者が来ると、甚平衛さんは、うれしそうにでかけました。道で村の人にいきあうと、「いよいよ、
ごくらくに行ってくるわ」と、にこにこ顔であいさつをしました。
「そりゃよかったね。そこまで、ちょっくら送るわい」と、村の人がいうと、
行者は、「そんなことをしたら、せっかくのごくらく行きがだめになってしまう。ついて来てはいけないぞ」と、
こわいをしていいました。
村の人はおどろいて、「せっかく、甚平衛さんを送るずらと思ったのに、どうしたことだや」と、
首をかしげました。
行者は、甚平衛さんをつれて、青崎の山をどんどんのぼって行きました。しばらくのぼると
山の神様の北がわにある、平らな岩にでました。「ここへすわりなさい。この岩は、おまえさんが
、ざぜんをするために、わしがけずっておいたものだ。
ざせんは、両足をこうやって組んで、手は、きちんとそろえて、腹の前であわせておく。それから、せなかは、
きちんとのばして、目をつむるのだ。
わしが「目をあけ」と、いうまではじっとしている。いいかな」行者は、甚平衛さんを岩にすわらせると、
自分はたったままで両手をあわせ、大声でおいのりのことばをとなえはじめました。
「えい。やっとー」行者が気あいをかけ「さあ、目をあけてみるがいい」と、
いったので甚平衛さんは、おそるおそる目をあけました。
むこうの山から雲がもくもくとあらわれて、こちらのほうへ近づいてきます。
「ほれ、あの大きな雲は、天国ゆきのおむかえだ。じきにごくらく行きの舟もみえるだろう」
行者は、長いつえで雲をさし、「さあ。もうすこし、目をつむっておいのりをしなさい。
そうすれば、あの雲が、この岩をつつむであろう。」と、いいました。
行者は、大声でおいのりをつづけました。そして、だんだんと甚平衛さんに近づき、つえをふりあげて、
今にも、うちおろそうとした、そのとき、「ずどーん」と、鉄ぽうの音がしました。
行者は、ぴょんと、とびあがると、いちもくさんに、山をかけおりていきました。
鉄ぽうの音で目をひらいた甚平衛さんは、「ああ、ごくらくが、どっかへいっちまったぞ
行者さまが、山をかけおりて行くがどうしたことだいな」と、あたりをみまわしたとき、
近所の伊代吉さんが近づいてきました
「だんなさま、ぶじでよかったね。あの行者は、どうもあやしいと思って、あとをつけて来たんだか・・・
ようす見ていると、つえでだんなさまのところを、なぐろうとしていたので、おら鉄ぽうで、うっただいね」と、
いいました。
「おら、ちっともうたがわねえで、ついて来ただが、そうだったかや」「ありゃ、だんなさまを殺して、
家やお金をだましとるつもりだったかもしれねえじ。それに、いいこともしねえで、ごくらくなんか、行けるものかね。
さあ、山をくだりましょ」伊代吉さんのしんせつをありがたく思った甚平衛さんは、「伊代吉さん、ありがとうよ
。おら、目をさましたよ。おら、とんでもねえことを考えていた。これからは、ここで死んだ気になって、
みんなのために考えるわ」と、いって、
伊代吉さんと山をくだりました。それからの甚平衛さんは、村の人のためにと、あちこちの道をなおしたり、
橋をかけたりして、自分のためにためたお金を、つかいました。
今でも、甚平衛さんが、ざぜんをした岩がのこっていますが、村の人たちは、その岩を「甚平衛岩」と呼んで、
今につたえているということです。
信濃教育会出版部、安曇野の民話より
:・・・ 安曇野市豊科
昔、飯田に、のんき物の太朗べえという男がすんでいました。 正月に嫁さまの家によばれたので、
ひとりで出かけていきました。
大きな川をわたり、ひと山越えたところに、嫁さまの家はあります。 太朗べえが来ると、嫁さまのかかさまは喜んで、
「さあ、太朗べえさん、どんどんと食べておくれや」と、お酒やごちそうを出してくれました。
太朗べえは、「うまいなあ。うまいなあ」と、たくさん食べてから横になると、グーグーと、いびきをかき始めました。
どのくらいたったでしょうか。 嫁さまのかかさまが、太朗べえを起こしました。
「太朗べえさん、そろそろ出ねえと、明るいうちに家に着けなくなるんね」「いけね、いけね。おら、へえ帰りますだ。
ごっつおになりました」
太朗べえは、あわてて家をとび出しました。「待っておくんな、おみやげ、持ってっとくりょ」
嫁さまのかかさまは、さっきつき上げたぼたもちを、重箱にいれ持たせてくれました。
太朗べえは、ぼたもちなど見たこともありません。「これはなんちゅうもんだい?」やわらかなあんこがいっぱいついた、
うまそうなものを見てたずねました。「これはな、ぼたもち、ちゅうもんだ、もち米をふかして、それをペッタラ
ポッタラとついてな、あんこをたんとつけりゃ、でき上がりじゃ」
「ほう、そうかい。ぼたもちかい。うまそうだなあ」太朗べえは、またお腹がすいてきそうでした。
「太朗べえさん、ぼたもち大事にもってけや」「ありがとなあ。これで帰るでな」 太朗べは、
おみやげを大切そうにもって、歩き出しました。
急なとうげ道を登り、坂道を下ると、ふるさとの村が見えてきました。「ええと、ぼたもちだな。うん、ぼたもち、
ぼたもち、ぼたもち、ぼたもち」 太朗べえは、おみやげの名前を忘れないように、ずっと口の中で、
くり返しました。かえるとちゅうで あめが降ったのです。「こまったこんだ。これじゃ、せっかくのおみやげが
、ぬれちまう。何かいい方法はねえかなあ」太朗べえは川をみました。大きな石がところどころに、頭をだしています。
「そうだ。あの石の上を、とんできゃていいだ」「ぼたもち、ぼたもち」「ぼたもち、ぼたもち」
「それ、どっこいしょ」とぶたびに、大きな声でひょうしをとります。「どっこいしょー」「どっこいしょー」
「どっこいしょー」「どっこいしょー」やっとのことで、向こう岸まで渡ることができました。
「どっこいしょー」「どっこいしょー」 太朗べえは、川を渡ってからも、かわらすに、さっきのかけごえをかけて
歩きました。家が見えてきました。庭で嫁さまが洗たくものをかたつけています。太朗べえは思わず、うれしくなって、
「おーい、嫁さまやーい。お前のかかさまから、どっこいしょ」をもらっきたぞー」
「あれ! あ前さん、おかえり、何をもらってきたって?」「おう、「どっこいしょ」っていうもんだわ。
やわらかくて、あまそうだぞ」「え、「どっこいしょ」?そんな食べもの、聞いたこともねえわや。ワッハッハー」
嫁さまは、大きな声で笑いました。 太郎べえは、あんまり嫁さまが笑うので、少しくやしくなりました。
ほっぺたをブーッ、と、大きくふくらませて、嫁さまの方をみました。
「ああ、ごめん、ごめんよ。お前さん、そんねに怒らないでおくれや、それじゃあ、まるで、おもちみたいだじ」
それを聞いた時です。太郎べえが、さけびました。
「そ、それだわ!おらが、おみやげにもらったのは。「どっこいしょ「じゃなくて、その「もち」だ。
「ぼたもちじゃ!」
「ああ、そうかい、そうかい。「ぼたもち」だったかい」嫁さまは、こんどはにっこり笑ったので、
太郎べえはきげんがなおりました。それから、嫁さまといっしょに、おいしいぼたもちを、腹いっぱい
食べたということです。 あずみ野児童文学会編 豊科の民話より>
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